高齢者の医療倫理と女性に集中しがちな老親介護
高齢者とその家族が望む医療とは
皆さん、こんにちは。国際医療福祉大学の古山と申します。
さて、筆者の父親は今年68歳、母親は63歳になるのですが、老化を基盤とした健康障害から日常生活が困難となり介護を要するようになる日が訪れるのは、それほど遠くない未来かも知れません。
少なくとも今後、医療機関を受診する機会は増えるでしょうし、侵襲的な治療を受けるか否かの選択を迫られるような場面では、主治医から家族としての判断を求められることになるでしょう。
これから高い確率で想定される上記のような場面――皆さんは、どのように考えていますか?
ところで、一般に看護学では、高齢者とその家族の望む医療が提供されるためには、退院後の生活を具体的にイメージした上での意思決定(治療方針の選択)が重要であると考えられています。
そこには、退院後のADL(日常生活動作)やQOL(生命の質)に医療的介入が与える影響を予測することにより、高齢者に痛ましい最期を強いてしまったり、家族に過大な負担をかけてしまうようなことを防ぎたいとする看護の眼差しが向けられているように感じられます。
他方、医療には異なる考えも存在します。
Sanctity Of Lifeというのがそれですが、すなわち、どのような状態になったとしても、生きていることに最大の価値があるという考え方です。
もちろん、一概にどちらが正しいとは言えません。
ここで大切なのは、医療をめぐる様々な考えを認知した上で、高齢者とその家族のより良い自己決定が実現されることを望むべきだということです。
親と話す、そして現場に触れてみること
では、そのために家族のできることについて考えてみましょう。
まず、自分の親が、どのような医療を受けたいと思っているのか、日頃から話す機会をつくっておくことは重要です。
筆者の臨床における経験の中では、「(看護職に促されるまで)親とそのような話しをしたことが無かった」と反応を返されることが、しばしばあったものでした。
また、その上で、介護者と被介護者の双方から、施設や在宅における生活とその思いなどについて、直接話しを伺うことのできる機会を探してみましょう。
例えば、高齢者医療や介護などについて考える勉強会、要介護者のためのボランティア活動などに参加してみるのも、一つの方法かも知れません。
つまり、医療にかかる前から、親とゆっくり向き合って話しておくこと。
加えて、可能な限り、医療や介護現場の近くに触れ、視て、聴いて、参加する。
それを、自分のこととして感じられるようになるまで続けられることを、お勧めしたいと思うのです。
「ケアする人」、「ケアしない人」の境界を埋める試み
また、家族間における「介護をする人」と「そうでない人」の境界を埋めていくための作業も必要になるかも知れません。
例えば、ケアを担う人が、そうでない人たちの声を押し返せずに意思決定が進められていく場面を、臨床看護師として少なからず目にしてきました。
背景には、この国にケアは女性が担うべきものというジェンダーライズされた家族観が、根強く残っていることが挙げられるでしょう。
そこで厄介なのは、「介護をする人」であると思われている当事者の女性が、家族間において介護を回避する意思を述べにくいという点にあります。
このような現状を変えていくためには、当事者の女性による訴えだけではなく、他者による問題提起やサポートが不可欠ではないでしょうか。
そこで筆者も、「ワールド・カフェで考えよう~高齢者の医療倫理と女性に集中しがちな老親介護~」のような試みの開催について考えてきました。
今後、本サイトを運営されている中島さんをはじめ、女性のための取り組みに奮闘されている方々のお力も得ながら、看護職として女性と等しくケアに携わってきた男性の立場から発信できることを見つけていきたいと思っています。
個人的には、そのような女性と男性、市民と専門家との協働の営みによってこそ、本当の意味での介護の社会化や地域包括ケアシステムの構築につながっていくのではないかと期待しています。
参考文献
1) 公益社団法人日本看護協会:高齢者の意思決定支援
2) 海山宏之:QOLとSOL,茨城県立医療大学紀要,14,149-153,2009.
国際医療福祉大学助教(千葉県成田市) 古山 陽一
1979年生まれ。
国際医療福祉大学成田看護学部助教(基礎・先駆的看護開発学分野)。
大阪市立大学医学部附属病院看護師(循環器内科病棟・CCU、消化器外科病棟)を経て、2016年4月より現職。