豆の記 ~煮ル、食ス、満ツル~ その5 考エル ゴハン
一粒の麦、もし地に落ちて死なずば、ただ一つにてあらん、死なば多くの実を結ぶべし。
―新約聖書「ヨハネによる福音書」
私たちの背後には名もなき死が連なり、この瞬間にも無数の死がこぼれる。私が生きているかぎり、半年のサイクルで今ある細胞は入れ替わる。 そうしながらも総体としての「私」はここに保たれている。
我々にはなぜ「生のおわり」があるのでしょう。
現代科学の仮設的な「解」も神話の「語り」も云います。
オスがあってメスがいる。
命が息吹き命をつなぐ。
その対価として代償としての「死」
神話には「よく死ぬ神さま(やたらと生き返る神さま)」がおられます。
「因幡の白兎」で有名なオオクニヌシさまは、兄ちゃんたちに殺されるたび、母ちゃん(サシクニワカヒメさま)に助けてもらい蘇ります。
オシリスはエジプト、ペルセボネはギリシャ。
南洋や北中米、アフリカ、そして恐らくあらゆる地域に「復活する神」は語られています。
「復活する神」の物語はおおむね「作物の起源」に由来し、死と生は農耕のサイクルに対応していると考えられています。
―振り子としての時。回帰する時。
流れゆく時。
共有する時。
―彼らは「穀物神」としての役割を担っているのです。
ところで――
私はあるそこそこの短期間、地中海はマルタ共和国におりました。
「日本人のあなたのために今日はライスよ。」
と、ある夜のこと。
ホストマザーはライスサラダを作ってくれました。
毎朝、クリームチーズと一緒にジャムとパン。
ランチはここのピザにして、今宵はライスサラダとくるならば、明日は巷で噂のホットドックにいたしましょう。
こうして夜を継ぎ昼を接ぎするうちに聞こえてくるぞ
―「おにぎり ころころ すっとんとん」…
ゴハン ガ タベタイ
ワタシ ハ オニギリ ガ タベタイ
おにぎりと思われる米粒の塊は弥生時代後期の遺跡、石川県は「チャノバタケ遺跡」から出土しています。
そしてこの米塊には手で握られた形跡も残っており、また当時のおにぎりは、水分を含ませた米を笹の葉で円錐形に包んで茹でたものであったとようです。
平安時代、玄米の強飯(こわめし)を握り固めて卵の形のようにした「頓食(とんじき)」が見られるようになりました。
戦国時代には、兵士や畑仕事の携帯食として用いられました。
中世、「土倉(どそう)」といわれる金融機関が発展しますが、もともとは米(種もみ)を貸し付けていました。
年利は大体五割から七割程度。「暴利をむさぼる悪徳業者」かと思いきや、米の魔術的な力をもってすれば、どうということもなく簡単に返済できました。
特筆すべき「米」の力。
それは異常なまでの「生産率の高さ」です。
一粒の米が100粒~300粒ほどの稲穂になり、倉に保存(貯蓄)することができます。
また小麦と比べても、何百年でも同じ耕作地から連続して収穫することが可能で、単位面積あたりの獲得熱量(人を養う力)は小麦を圧倒しています。
ただし「飢饉」という例外もあります。
15世紀中頃から、地球規模で「小氷河期」が始まります。
我が国の「戦国時代」は「戦のせいで食えなくなる」のではなく「食えないからこそ戦が起こり、限られた糧を奪い合った」ために起きたともいわれています。
恐らく縄文晩期以来、私たちの祖先は常にお米とともにありました。
現代、日本人の米消費量は減少の一途をたどっています。
昭和38年は一人あたりの年間消費量は118キロ。
平成18年には61キロとなり、以降、年々減り続け、平成23年にはパンの消費額は米を逆転しました。
この先どうなることやら、ちょっと私にはわかりません。
ゴハンが悪いのではない。
パンが悪いのではない。
もちろんゴハンがすべてではない。
ゴハンにはたしかに恵みが宿る。
――おにぎり ころころ すっとんとん……
栄養士 杉井 もえ
栄養士免許取得後、料理撮影アシスタントに。
その後、珈琲会社で輸入食材販売を担当。
あるひと夏レタス畑にて働く。仲居になる。
病院栄養士退職後、豆とスパイスに目覚める。
現在、自宅で豆を煮る日々。