第15回:アメリカ・ミシガン 「理想の子育て」を求めて移動
日本で田舎暮らしをスタート
ママココ大阪をご覧の皆さま、はじめまして。
アメリカ、ミシガン州の小さなカレッジタウンに住んでいる椰子ノ木やほいです。
実は私は、ここに登場される他のママさんたちのような現役ママではありません。
子どもは4人いますが、全員成人しましたので、子育てを終えた母であり、子育ての先輩として、世のママたちを応援したいと思っている者の一人です。
結婚する前から「赤ちゃんは最低4人は産むぞ!」と決めていたほど子ども好き。
長女が生まれたのと同時に「のびのび子育て」を夢見て、過疎の山村に引っ越しました。
その後、希望どおり、ポンポンポンと目標達成! 一女三男の母となりました。
4人の幼少時代は、まさに自然を身近に感じながら野山を駆けまわる暮しでした。
山のてっぺんにある小学校までは4キロ弱。毎日、小一時間かけての徒歩通学でした。
犬に鶏、うずらにアヒルも飼いました。
拾ったカメや捕まえた虫をペットにしたり、野菜作りや山菜摘みを楽しんだりと、都会生活では味わい難い暮しを12年間満喫しました。
のんびり暮らしを求めて家族で南国サモアに移住
長女が中学にあがるころ、「家族揃って夕飯を食べられる暮し」を求めて、“しばらく”日本を離れる決意をしました。
さらなるゆったり暮らしを求めて、家族で旅をしたことのある南太平洋に浮かぶ常夏の国、サモアに移住したのです。
公用語はサモア語と英語。
言葉のわからない国で、とつぜん現地の学校に放り込まれた子どもたちはそれなりに苦労しましたが、サモアの学校生活はお昼すぎには終わってしまうため、言葉の壁が過度なストレスとならずにすんだように思います。
午後は、日本からの海外子女用通信教育を利用して日本語の補習をしたり、読書する時間もたっぷりあり、日本語で過ごす時間と英語で過ごす時間がほどよくバランスが取れたように思います。
南国独特の「なんとかなるさ」といった大らかさと、おせっかいなほど人情豊かな人々に助けられながら、サモアの暮しに順応していきました。
ポリネシア文化を色濃く残すサモアは、伝統文化を重んじる人口18万ほどの小国です。
親日家が多く、歓待精神に溢れ、「分かち合い」を基盤とする“サモア流”は、日本の常識では「ありえない!」ことの連続でした。
「定規忘れたら、隣の子が自分の定規を折ってくれたよ」「先生に友だちにもメガネを貸してやれって言われた」「草刈りするから刃物もって集合するんだ」「先生が小さな子連れで来るので、授業の間生徒が子守り……」など、子どもたちの報告に、驚いたり、大笑いしたり、困ったり、苦しんだり……。
まさに抱腹絶倒と七転八倒を繰り返す4年間ではありましたが、振り返ればあっという間でした。
日本の外で暮らしてみてはじめて、日本の常識が世界の常識ではないことを思い知ることとなりましたが、希望どおり家族そろって食事することはもちろん、同じ本を回し読みしたり、週末ごとに海にでかけたりといった時間をたっぶり持てたのはラッキーなことでした。
また、サモアで垣間見た子どもの世界は、まるで自分の子ども時代にタイムスリップしたかのような懐かしさも感じました。
比較的治安の良い途上国ならではのゆるさが、裸足でサッカー、校庭の木に登りマンゴを拝借、学校帰りに買い食い、ヒッチハイクで通学……といった、昨今の先進国では「子どもを守るため」ゆえ、許されないような現実がまかりとおっていたのです。
もっとも、それにはリスクもあり、腹痛や怪我に見舞われギャフンということもありましたが……。
学ぶ環境を求めてアメリカへ
子どもたちが成長するにつれ、いつまでも「のびのび」だけを求めているわけにもいかない、高等教育をどこで?と考えた結果、かつて、夫が留学していたこのあるアメリカ、ミシガン州に移動しました。
受験がなく、専攻はいつでも変えられるアメリカの教育システムは、学びたいことを学びやすい環境だと判断したのです。
長女と長男はハイスクールの11年生と9年生に、次男はミドルスクール8年生、三男がエレメンタリー4年生と、それぞれ公立の現地校に編入しました。
サモアの基準を身につけている子どもたちを連れて、はじめて学校見学に出かけたときには、あまりの設備のちがいに「すんげ~!」と目を白黒させていました。
ハイスクールまでは無料。
教科書、教材、スクールバスなどにもいっさいお金はかかりません。
制服もありませんので、4人も子どものいるわが家にとって経済的にもとてもありがたいことでした。
選択科目のバラエティーも豊富で、必須科目さえこなせば、より興味のあることを学ぶことができるので、確かに、「学びたいことが学びやすい」は当たっていたなと感じました。
結局、“しばらく”のつもりで日本を出たはずが、4人ともアメリカの公立ハイスクールを卒業し、さらにそれぞれが望む専攻で州立の大学、大学院で学ぶこととなったのですから、人生とはわからないものです。
町の中心が総合大学というカレッジタウンを生活拠点にしたおかげて、通学のための交通費や時間もかかりません。
自宅から徒歩で大学に通えるので、食事は家に帰ってとることもでき、クラスのスケジュールにあわせて、家とキャンパスを行ったり来たりということも可能です。
大学の図書館は住民にも解放されていて深夜まで開いています。
アメリカでは社会人学生も多いため、夜のクラスも豊富です。あらゆる分野の講演会やセミナーなど “Open To The Public” と記されていることも多く、広く地域住民にも無料解放されています。
音楽専攻の学生のリサイタルやコンサート、舞台芸術を学ぶ学生たちによるミュージカルや演劇、美術専攻の学生による展覧会なども気軽に地域住民が楽しめるため、大学生ではなくとも、カレッジライフを身近に感じて暮らすことができます。
母としては、我が子たちの大学生活の様子まで常に眺めることができ、共通の話題にこと欠くことがないのもうれしいことでした。
多種多様な人種と文化が織りなす多民族国家のアメリカン・ライフは、日本やサモアのように、特定の文化を基盤とする島国の暮しとちがい、世界の価値観は多様であることをさらに目の当たりにてくれました。
特に大学には海外からの留学生や研究者も多く国際色豊かです。
このように異国、異文化の中で育ってきた娘や息子たちですが、「人はみなちがう」を実感した一方で、マイノリティとしての理不尽な苦い経験もあり、人種や偏見、差別といった諸問題には、かなり過敏に反応する大人に成長しているように思います。
子育てに正解はない
「理想の子育て」を求めたとはいうものの、4人もの子どもを連れて、生き延びられる保障もなく日本を飛び出してしまったことは、「若気の至り」だったかな?と思わなくもありませんが、おかげで、家族みんなが「なんとかなるさ」「なんとかするさ」という「踏んばり力」はついた気がしています。
そして机上では学び得ないことを、経験を通して学んだように思います。
我が子には、「幸せに生きてほしい」と親がいくら願っても、「そうは問屋が卸さない」のが現実でしょう。
子どもたちには、培ったあらゆる能力を活かし、より充実した人生のために、タネをまき、根を張り、根を伸ばし……と、自分の夢や希望を実現していく姿勢を持ち続けてほしいと願っています。
子育てが終わっても、母としてハラハラドキドキワクワクしながら見守っていくことはこれから先も続きます。
椰子ノ木やほい(やしのきやほい)
2001年より米国・ミシガン州在住。世界各国で活躍中のライター、コーディネーター、トランスレーター、フォトグラファーが集まる「海外在住メディア広場」の運営・管理人。「地球はとっても丸い」の編集スタッフとしても活動中。