第20回:オーストラリア 多民族国家の中でおおらかな子育て
多民族国家の中でおおらかな子育て
ママココ大阪の皆様、はじまして。
私は、オーストラリア在住18年、16歳と13歳の息子がいる母親です。
二人とも、温暖なケアンズで生まれ、熱帯雨林に囲まれ、蛇やウォータードラゴンなどの野生動物が庭に入ってくる、そんなワイルドな自然の中でのびのびと育ちました。
海や川で遊んだあと、そのまま自宅のプールでさらに泳ぐ、バナナやマンゴーを木からとって食べるといった環境を十分満喫しました。
4年前、上の息子のハイスクール入学を機に、勉強やスポーツ、趣味などのいろいろな選択肢を増やせたらとオーストラリア、西側唯一の州、ウェスタンオーストラリア州、パースへ越してきました。
今まで、こちらのコラムに登場している小さな子供もちの母親ではありませんが、育児を完了した私にオーストラリアでのラストスパート中の子育てをお話しさせてください。
多種多様のアドバイス
いろいろな国から移民してきた人たちで成り立っているオーストラリアでは、子育て中も、病院、プレイグループ、学校などで習慣や考え方などバックグラウンドが違う人たちと関わります。
例えば、義理の両親、医者、看護士に子供の病気や健康の悩みを相談しても、実にさまざまなアドバイスをもらいます。
うちの息子が発熱したときに、温暖なオーストラリアならではなのか、平熱が私たち日本人よりも高めだからか、「水風呂に入れてあげなさい」と言われ、また、予防接種の前には、必ず赤ちゃん用の痛み止めを先に飲ませるようにとアドバイスされ、驚いたこともありました。
自分が当たり前だと思っていたことが、国が変われば当たり前なことではないこともあり、考え方も習慣も人それぞれだなと痛感しました。
果てしない親の役目 弁当編
オーストラリアでは、小学校、ハイスクール(中高一貫です)で、給食システムはもちろん、食堂施設を期待できません。
売店では、バーガーやピザなどの温かいものから、寿司、サンドウィッチ、アイスクリームなどの冷たいものまでそろいますが、毎日買うのもお金がかかります。
よって、弁当作りが親の毎朝の日課になります。
そこでオーストラリアに在住する日本人のお母さんならほぼ、「ご飯や卵焼きが入った日本のようなお弁当か、サンドウィッチや野菜スティックなどを入れた、ここで一般的な弁当のどちらを作るべきか」と悩みます。
時間と食材調達のことを考えるとこういった弁当を作るほうが簡単です。
サンドウィッチやラップにすれば、具を挟んで切るだけで弁当が作れるのですから、手間がかかりません。
しかし、就学前まで、食べ慣れたおにぎりでないと弁当を食べてこないという子供や、逆に日本のような弁当を持っていくと現地の子供がもってくる弁当と違うので、それを嫌がり、さらにはクラスメートにからかわれてしまう子供もいます。
イタリア、ギリシア系の友人は弁当に、サラミやオリーブなどを持っていきたくない、ジャムをぬったサンドウィッチを持っていきたかったとか、はたまた、アジア系の子供がもってくるヌードルや焼き飯を食べてみたかったなど、どんな人種の親であれ、毎日の弁当作りに悩みはつきません。
下の子が学校に入学したとき、最初の先生がとても理解のある先生で、子供の持ってくる弁当をいつもほめてくれました。
おにぎり、巻きずしなどのお弁当を作って持参していたのですが、当時先生にはめずらしく、しかもいろいろなものがちょこまかと入っていたので、目立っていたようです。
ほめられた子供はもちろん、いい気分で、日本食のお弁当を喜んでもって行くどころか、仲の良い友達の分までおにぎりを作ってくれと頼まれたくらいでした。
おかげで、息子たちは、弁当に何をもっていっても食べてくるし、友達が何を持ってきても、それをからかったりすることもなく、逆にカレーや餃子を持ってくる友達をうらやましく思うことがあるそうです。
弁当を作るにも苦労がありますが、オーストラリアは、弁当に関してもインターナショナルなのです。
果てしない親の役目 送迎編
広大なオーストラリアは、シドニーやメルボルンなどの州都を除けば、通学に使えるほど、電車やバスの交通機関が発達していません。
スクールバスさえも便利とは言い難く、結局保護者が車で送迎します。
学校への送り迎えだけでなく、他学校で行われるESL(英語補習授業)、学校合同の音楽授業、アカデミック授業も保護者が、学校からほかの学校へと送迎します。
さらに、就業前、放課後、週末の習い事の送迎、友達同士の遊びでの送迎と必ずどこかへと運転しています。
こちらの子供たちは、17歳になると車の免許をとることができますが、駐車スペースの問題や子供の安全を思うと、結局、親の送迎が不可欠で、『Free Taxi Driver イコール 親』という公式がここでは成り立っており、しばらく子供たちのために運転する日々が続きます。
息子たちの日本語
一番上の息子が生まれたときに彼らのおばあちゃんから、「自分たちと日本語でコミュニケーションがとれるように、必ず日本語を使えるようにして」という約束というかお願いがありました。
私から唯一渡せるものが日本語だと思っているので、日ごろから、日本語で会話するように、息子たちにしっかり徹底しました。
家の中だけでなく、学校などの外でも息子たちとの会話は日本語でしています。
親子で親の母国語を使って会話をしている家族は多くいるので、日本語で話していても、「今、何語で親と話していたか」と聞かれはしますが、驚かれることはありません。
ここには、親の母国語で話す、聞くが、できる子供たちはたくさんいます。
しかし、親の母国がなんであれ、読み書きまでできる子供は少ないです。
ここでの生活が長くなるほど、英語を使う生活が長くなり、兄弟での会話も、寝言でも英語を使っている息子たちに、日本語を使う環境を作るのに苦労しました。
そこで、日本語を使う機会を増して日本語力を高められるよう、息子たちをケアンズにある日本語補習校に入れました。
オーストラリアの各地に日本語補習校があり、就学年齢になると入学できます。
ここから、話す聞くのみならず、読み書きの勉強が始まりましたが、やはり、英語環境での生活が長くなればなるほど、日本語の理解度を高めていくのがとても大変で、私がほぼつきっきりで日本語の勉強に関わりました。
子供にも負担がかかっているように見え、「そこまで苦労して日本語を習得するべきなのか」と悩むこともありました。
現地の学校で外国語の選択肢に日本語がある学校に通えば、それ以上は勉強しなくてもいいのではないかとも考え続けました。
でも、今思えば、私も息子たちも続けてよかったと確信しています。
結局、息子たちの通った現地小学校には、外国語の選択肢に日本語がなく、彼らは、日本語の勉強を続けるが大変でしたが、苦労して習得した日本語は、日本にいる祖父母や親戚と話すためだけでなく、今では、特技みたいなものとして、自分を補っていることに気づき始めたようです。
ハイスクールにある日本語のクラスで手伝いをし、ボランティアやアルバイトで、バイリンガルであるということを大いに活用し始めています。
あともう少しの子育て
毎日の日課に振り回され、“わけのわからん“ティーンエージャーに叱咤激励(叱咤激怒のほうが表現が近い)し、私は大変ストレスのたまる毎日を過ごし、「お母さん業を辞めたい」と叫びそうになりますが、オーストラリアのおおらかな人たちに励まされ、支えられながら、楽しく暮らしています。
息子たちには、自分のやりたいことをみつけ、それを達成するよう、努力できる人間になってくれたらと願っていますが、母親の私は、それを助けるのではなく、それを見守る時期にそろそろ差し掛かっているのではないかと思います。
少しずつ、親離れ、子離れしていくのがこれからの課題です。
えすと
1997年よりオーストラリア在住。2011年に13年間住んでいたケアンズから、西側のパースに移動して4年。ライターのみならず、学校、病院、銀行など生活に必要な付添い、通訳、お世話人から、ビジネス業務代行まで、ケアンズで始めた『万屋業』もパースで継続中。