第21回:ベルギー 誰も仲間はずれにならない社会は生きやすい
ありのままでいられる国ベルギー
ママココ読者の皆さま、こんにちは。欧州の小国ベルギー在住の栗田路子と申します。ベルギーと聞いて、どんな国かお分かりでしょうか。フランス、ドイツ、オランダ、北海を挟んで英国などのヨーロッパの大国に囲まれた小さな国。最近、日本では、チョコレート、ワッフル、ビールなどで話題になるようです。ベルギーとして独立してからまだ200年足らずの若い国ですが、紀元前後からこのあたりには人々が住み、ジュリアス・シーザー、ナポレオン、第一次・第二次大戦に至るまで、常に戦場となってきました。中世以降、ブルージュやアントワープが欧州有数の港町として栄え、今では、欧州連合(EU)の主要機関と2000を超す国際機関がひしめく、まさに”ヨーロッパの十字路”。欧州ばかりか世界中の人々が行きかう多民族・多言語社会となっています。”人種の坩堝”と呼ばれる国は他にもありますが、ここベルギーでは、ひとつの価値観や文化に同調・同化せず、ありのままでいられるのがユニーク。
我が家の子供たちはすでに17歳と18歳。ベルギーでは成人に達する年齢なのですが、これまでの子育てを振り返ってお話してみます。
子育ての前に:不妊治療から養子縁組へ
前夫に急逝され、改めておばちゃん留学で渡米し、その後たどり着いたベルギーで再婚した私。四十路直前になってからの子作りは、当時日本では考えられないようなことでした。ベルギーでは、「不妊」と診断されれば人工授精などの治療が健康保険でカバーされ、フルタイムで働きながらでも無理なく治療サイクルに入れるような、血液検査やホルモン注射のインフラがよく整っていました。こうした不妊治療は、ベルギー在住でなくてもかなり安い料金で受けられるので、欧州はもちろん、中東や遠いアメリカなどからやってくる人も多いことに驚かされました。
人工授精・IVF(試験管ベビー)を何回か試し、肉体的・精神的にボロボロになっていた私たちに、医療チームは、次のステップとして2つの提案をしたのです。治験段階の新技術をトライするか、養子縁組を考えてはどうかと。
非摘出子、継子、里子などが、”悲劇”のように扱われがちな日本で生まれ育った私でしたが、そんなことに頓着しない社会に住むからにはと、迷わず養子縁組を選択。私のDNAがここで断絶する悲しみがなかったかと言われれば嘘ですが、親と縁のない子、飢えている子が溢れる今の地球社会の中で、「自分の血」や「自分の遺伝子」を潔く捨て去る――それは、「自分に似た子が欲しい」とか「ハーフの子の顔を見たい」などという密かな夢を思い切って乗り越える決断でした。
最近日本でもかなり話題になっている、受精卵の着床前診断や妊婦の血液検査による胎児の診断なども、ベルギーでは、慎重な診断の結果、重篤な遺伝病を持つ子供の出生確率が著しく高いなどと判断されれば、健康保険が適用されてほぼ無料。医療であるなら、豊かでも貧しくても同等に受けられるべきだから。たとえばこのような先端生殖医療は、お金さえ出せば誰でも受けられる野放し状態で、営利主義の医療がまかり通ってよいのでしょうか。どういう命は生まれる価値があり、どういう命は排除してよいと誰が決めるのでしょう。医療倫理の難しい課題に蓋をせず、とことんまで話し合って、現在の知見で最善と思われる判断をし、治療であるならほぼ無償で実施するというベルギーの医療のあり方に、心からの敬意をもっています。
誰も仲間はずれにならない社会は生きやすい
この国で、私が「心地よい」「生きやすい」と思うのはなぜかと考えてみました。うちの子供達はベトナムから迎えた養子・養女です。私とは全然似ていませんが、アジア系なので、ベルギーの人々の目には「ごく自然な母子」。むしろ、夫だけが明らかに違って見えるので、小さな子どもが私たち家族をじっと見比べて、「お父さんが養子?」と聞いてきた微笑ましいエピソードもあります。ふと気づいて見回すと、子供の幼稚園や小学校のクラス(約20名)の中には、必ずといっていいほど養子や養女がいます。隠す理由はありません。私の住むあたりは、金髪・青い目の白人の多いところですが、それでも、クラスには、黒人、アジア系、アラブ系など、外見上異なる子供達がたくさん。外人比率が4割とも言われる社会なので、ベルギー人ではない子、母語がフランス語ではない子も山ほど。
夫婦別姓で、結婚の形態がいくつもあり、離婚・再婚が当たり前の社会なので、家族の姓が皆同じで、顔かたちの似通った者だけが一緒に住んでいるという方が珍しい。片親の子、再婚した両親が互いに連れ子してできた”組み換え家族”の子供、ドナー精子やドナー受精卵で生まれた子、同性婚の両親の間の子供(パパパパかママママですが、養子も、ドナー精子・卵子による子供も)など、非定型家族の多いこと……。驚くほど背の高い子、かなりのおデブちゃん、車椅子の障害児、発達障害のある子など、とにかく何でもありで、誰も仲間はずれになりようがない……。皆がてんでばらばらな社会は、なんて居心地よいのでしょう。
多言語がスタンダードな社会の言語教育
日本では、「バイリンガル」といえば、すなわち英語が堪能なことともてはやされますが、国語が3つ(蘭・仏・独)、英語も必須なベルギーでは、「バイ」(通常は蘭仏の2言語)なんて当たり前。ブリュッセルの平均的な大人は4~5言語、子供でも2~3言語を操ります。特に、世界的に見て言語人口が極めて少ない蘭語話者の子供達は、幼児の頃から、ディズニー映画を英語で見て育ち、休暇では仏語や独語のキャンプに入れられるので自然と言語器用に。また、ベルギーでは、家族の中で複数の言語が日常使われ、親せきや隣近所で話す言語が異なることは日常茶飯事。発達言語学によれば、4歳ごろまでに母語(話し言葉)に於ける文法体系の80%を習得すると考えられていますが、ベルギーでは、就学前に数言語を同時に母語として身に着けている場合が多いのです。
とはいえ、話し言葉以上の、読む・書く・考える力を培うには、やはり学校での勉強が不可欠。ベルギーでは、幼小、中高が一貫教育で、国が認可した学校なら私立でもほぼ無料。幼小の段階から、バイリンガル教育(英仏、仏蘭、仏独)、つまり、2つ以上の言語で教科を学ぶ仕組みを実施している学校も少なくなく、インターナショナルスクールやヨーロピアンスクール(欧州連合が運営する欧州公立学校)が多いのもベルギーの特徴。
我が家では、夫は仏語、私は日本語が母語で、夫婦の間では英語が中心。そこで、子供が英語もできてくれればラクチンと考え、仏英二言語の初等教育に。中学までは、日本人学校補習校(土曜日)で日本語も含め3言語で同時進行。高校相当からは、ヨーロピアンスクールの英語科に編入して、理数と英文学・哲学を英語で、社会科学(地理・歴史・経済)と仏文学を仏語で勉強することにしました。小さな子どもが起きている時間はせいぜい12時間程度。そのほとんどを学校で過ごすとはいえ、塾や習い事に重きを置かないベルギーでは、家庭での親による学習指導が期待されます。その上、週に4時間で、日本の文科省が定める国語と算数の全過程をこなすのはなかなか大変でしたが、親子ともども毎日毎日の積み重ねで乗り切りました。
私にとって、英語・仏語は後発的に習得した言語。よほど注意しなければ、流行歌の歌詞も映画のセリフもそのまま理解することはできません。でも、娘には、そのままわかる言語が3つ。学齢に達してから始めた蘭語やスペイン語には、私と同じように努力を強いられています。
ベルギーで知った義務教育と成人の意味
我が家の2人の子供達は、それぞれ生後3カ月でベトナムから迎えた養子・養女で、すでに18歳と17歳。ベルギーでは、18歳が成人で、たとえわが子であっても、法的には対等な大人となります。日本のように晴れ着や袴を着て写真を撮るというような成人式イベントは一切ありませんが、何事も自分の責任になるので、顔つきが変わるといっても誇張ではありません。
ベルギーでは、成人する18歳までの教育が「義務教育」。その目的は「大人として、社会で責任を全うできる最低限の知恵と術を授けること」とされています。欧州のほとんどの国で18歳が成人年齢ですが、義務教育が18歳までの国はあまりありません。でも、ベルギー人に言わせれば、「義務教育が15才で終わってしまったら、どこで責任ある大人になるための教育を施すの?」と聞かれるのです。確かに……
残念なことに、我が家では、上の子は養子に迎えた時から、重度の脳性まひがあり、歩いたり話したりすることはおろか、私たちを認識することも、口から食べることもできないので、施設でお世話になっています。この国の充実した福祉のおかげで、小さな家族的なホームでとても大事にしてもらい、昨年、成人を迎えることができました。たとえ障害児であっても、大人となれば、親の勝手は許されません。法定後見人を定めて、彼にとっての最善の道を見極めなければならないのです。
娘はこの6月に高校を卒業予定で、現在、英国の大学に出願しています。でも、大学を始める前に1年のギャップイヤー(放浪の1年)をとって、南米に行くのだとか。がんじがらめのエスカレータに乗って受験勉強にあけくれていた私の高三の頃を思うと、なんともうらやましい限りです。
子育て卒業間近に
「うちの家族は愛情表現が希薄」とキスづくめのまわりの親子を見て文句たらたらの娘。二人の子供を育てることで、一人前の大人にしてもらえた私ですが、実は、今日に至るまで、娘から「私は誰の子?」と3回聞かれたことがあります。そのたびに、ちょっとうろたえドキドキしながら、「私の子」と答えてきました。だって、たとえ自分の身体に宿った子どもであっても、「この子がいい」とその子の魂や運命を選べるわけではないのですから。うちの二人の子供達が、ベルギーの私たち夫婦のところにやってきた運命は、夜空の星屑の中から選ばれたようなもの。「親のない子」と「子のない親と」が今日まで仲良くやってこられたことに感謝。娘の子供の顔を見る日を心待ちにして。
栗田 路子
国際再婚し、養子縁組みで重度障害児との巡り合い、不妊・パニック障害・乳癌などの病気や怪我にもまれながら、早くもベルギー在住20年余り。波乱万丈な人生から得た知見とネットワークを元に、執筆やメディアコーディネート、コンサルティングを生業に。大学で心理学を学んだ後、米国およびベルギーの大学でMBA(経営学修士)取得。また、英国の大学にて広範性発達障害やコミュニケーション障害について研究。EUのお膝元、ちっぽけなベルギーで発信しながら、発達障害等を持つお子さんのいる日本人ママたちを支援しています。