第7回:ギニア 自国を心の底から愛す、人情溢れた国に魅せられ
いきなり別世界のギニアに!
ママココ大阪の皆様 初めまして!西アフリカのギニアから、バー由美子と申します。
西アフリカに位置する、人口1千万人ほどのギニア共和国の首都コナクリでギニア人の夫と長男(11歳)、長女(6歳)と暮らしています。
ギニアといえば、日本ではオスマン・サンコンさんの出身地として知られていますが、実はジャンベ(アフリカ太鼓)の発祥の地として世界中から楽器やアフリカンダンスを学ぶために外国人が訪れる、音楽大国でもあります。
日常生活に音楽とダンスが密着しているので、アフリカンミュージック好きにはたまらない国なのです。
人々は皆、人懐っこくて冗談好きで嬉しい時はすぐ踊っちゃたりしてとても陽気で親切です。
初めて大阪に行った時に大阪の人達のノリの良さに、「あっ!ギニア人に似てる」と思ったことを良く覚えています。
我が家の子供2人は日本生まれですが息子は小さい時に夫と里帰りで2回ギニアに滞在し、その時には辛いギニア料理を平気で食べ、日本語を話す前に夫の家族の話す部族語を話し始め、私達をビックリさせるほどギニア人化していました。
ところが7歳でこちらに移住した当初は、辛いものは食べてくれない、停電でTVが見えない、ゲームが出来ない、冷たい水で体を洗うのが嫌(ギニアでは当たり前!)などの理由で、いつも日本に帰りたい!を連発していました。
一方、当時3歳だった娘は辛い料理もパクパク食べ、水のお風呂はプールだ!と楽しんでいましたので、環境の変化に適応する抜群の能力は小さい子供の特権なのかしらと実感しました。
ギニアのママはパワフル!
先日出産したばかりの近所の雑貨店の女性は、出産当日まで普通に店番と家事をしていて、2日ほど姿を見ないなと思っていたら、生まれたばかりの赤ちゃんをおんぶして、「赤ちゃんが生まれたのよ~!」と、店番をしながら店先で炭に火を付け料理をしていました。
私が「体は大丈夫なの?ゆっくり休んでなくて良いの?」と聞くと、「大丈夫よ、それに私がするしかないんだもの!」という返事でした。
ほとんどのママが、出産後もゆっくり休むこともなくよく働きます。
市場に行くと、子連れでお店を出している女性が沢山いて、野菜や魚が並んでいる横で赤ちゃんがスヤスヤ眠っていたり、屋台の下で赤ちゃんと一緒に昼寝をしているママ、おっぱいを飲ませながらお客さんと世間話しをするママ、 そのお客さんも赤ちゃんをおんぶして頭に大きな荷物を乗せていたり、子沢山のギニアのママはやはりパワーが違います。
お手伝いをよくする子供達
よく働くママの傍ら、子供たちは目上の人の言う事に従い、お手伝いをよくします。大人達は、自分の子供ではなくても、その辺にいる子供に、当たり前のようにちょっとした買い物や、荷物運びのような仕事を頼みます。
頼まれた子供も、嫌な顔ひとつせずに引き受けます。
各家庭で違うとは思いますが、外を歩いていると、5歳くらいの女の子が、洗濯板で洋服を洗ったり、お皿洗い、頭にバケツを乗せての水汲み、小さい赤ちゃんをおんぶして面倒をみる、自分より小さい兄弟の体を洗ってあげるなど、本当によく働いていて、偉いな、と感心します。
日本のテレビの時代劇で着物を着た女の子が赤ちゃんをヒモでおんぶしているシーンそのものの雰囲気です。
朝は通学ラッシュ
子沢山のギニアの朝は通学の学生がアリのようにゾロゾロ行列になって歩いています。
大きい道路では乗り合いタクシーの席の奪い合いをする姿も!(娘を学校に連れて行く私もその一人です)保育園が併設された小学校が多いため、3歳くらいの小さい子供がちょっと大きめの制服を着て大きいリュックサックを背負い、小学生のお兄さん、お姉さんと手をつないで登校するほほえましい姿も見かけられます。
意外だったのは、通勤前に子供達を学校に送るお父さんがとても多いことです。
中にはバイクの前と後ろの席に子供を乗せているお父さんもいます。
アフリカならでは?
ギニアの一般の学校は制服着用ですが、日本と違うのが、制服は既製で売っていないこと。
学校指定の布地を購入して、仕立て屋さんに持って行きオーダーメイドで作ってもらいます。
新学期の前になると、仕立て屋さんは布を持った学生で賑わいます。
男子はシャツとパンツですが、女の子は自分の好きなデザインのものを着用してよいので、スカートの裾にフリルがついていたり、ミニスカートだったり、くるぶしまでのロングスカートだったり、そしてアクセサリーはもちろん、かつらや付け毛を付けた個性的なヘアースタイルの子もいて、とてもオシャレです。
日本だったら校門で追い返されそうですね。
これもまた、日本ではなさそうなギニアの学校事情ですが、ギニアの学校には飛び級制度があり、テストに合格すれば、上の学級に上がれます。
そして、特に女子は家庭の手伝いをしなければならないなどの理由で長期で休校することがあるために、同じ学年であっても年が違う子供がいるというのも珍しくないようです。
20歳以上の高校生がいたりするそうです。
そんなギニアで、我が家の子供達はギニアの一般的な公立学校ではなく、娘はフランス式の私立の学校に通っています。
以外なことに、一般的な学校では図画、工作そして音楽といった芸術性を高める授業が無いのです。
娘のお世話になっている学校では、絵を書いたり、美術の時間も多いのと、子供たちが楽しく勉強出来るように工夫された教材を使った授業で娘は勉強するのが楽しいようで、家でも進んで勉強をするようになりました。
正しい発音のフランス語での授業も、親としては嬉しいです。
一方、息子はアーティストを養成する為の、ギニアの伝統楽器とダンスを学ぶ音楽学校に通っています。
一般的な国語、算数などの授業もありますが、音楽に重点を置いたカリキュラムで勉強しているのです。
娘の学校の給食がヨーロッパ式なのに対し、息子の学校はもろアフリカ式で、大きなお皿に入ったご飯を手で食べるそうです。
ちなみに、公立学校には給食は無くて、学校の敷地内外にある屋台で、フランスパンにスパゲティを挟んだサンドイッチやご飯を買って食べたりするのが一般的なようです。
人情溢れるギニアに感謝
ギニアの人達はとても人懐っこくてすぐに話しかけてきます。
私がギニア人と結婚しているのを知ると必ず、「ありがとう!」と言われます。
子供が2人いると言うと「もうあなたはギニア人だねー」と更に盛り上がって隣にいる人に、「ねえねえ!この日本人ね~」なんて話しかけて周りも巻き込んでの大騒ぎになり感謝されまくります。
私の苗字はバーといってフラ族(夫の父がフラ族)の苗字なのですが、苗字まで同じだと知るともうサービス抜群になって、乗り合いタクシー(ギニアはギュウギュウ詰めで乗り合いで他のお客さんと一緒にタクシーに乗ります)の運転手さんが料金をタダにしてくれたり、乗り合いのお客さんが私たちの料金を支払ってくれたりする時もけっこうあるのです。
そして、 私達が部族語も喋れると知ると手を叩いて喜ばれたりします。
アフリカ大陸のなかの小さく、フランスから独立してまだ55年ほどのギニア。
人々は自国を心の底から愛しギニア人であることに誇りをもって生きています。
それゆえ、ギニアに魅せられ日々奮闘中の私たち家族を応援し、受け入れてくれるのでしょうか。
この人情溢れたギニアで我が子2人の、のびのびとそしてたくましく成長する姿に驚くとともに、優しいギニアの人々に感謝する日々です。
バー 由美子
2010年、東京原宿で経営していた雑貨店を閉店し、長年の夢であった、夫の母国、ギニア共和国の首都コナクリ移住を実行。大好きなアフリカの布パーニュを使い、現地の仕立て屋とアイデアを出しながらバッグや洋服を制作し自分で見つけたギニアのお気に入りの一品、ジャンベなどの楽器を卸し、ネット販売している。
2人の子育てをしながら、アフリカンダンスの本場ギニアでダンスカンパニー、メルべィユ デ ギネーに所属しアフリカンダンスを一から修行するというダンス三昧の毎日を送っている。
ギニアの子育て、日常生活、アフリカンダンス、音楽の事など写真いっぱいで書いています。